日本文芸社。2001年6月15日第1刷発行。2006年2月25日第15刷発行。259頁。
著者は作家、料理評論家とのこと(奥付より)。『三国志新聞』(日本文芸社、1996年3月)の
編纂に携わっていた記憶があります。監修に元実践女子大学文学部教授の阿部幸夫氏。
出版後、5年で15刷ということは、三国志本としてはかなり売れている方なのでしょう。
いわゆるライターの書いた三国志本としては典型的なものだと言えます。
少し三国志に興味がある初心者が対象なのでしょう。
特定の国に肩入れしない姿勢は、見識が在るとも、平板だとも言えるような。
ただし、時々、事実誤認あり。
>なぜなら、昔の中国においては、女性の人格というものが、ほとんど無視されていたからだ。
>たしかに曹操の正妻のことは、「ベン皇后紀」という伝記になっている。しかし、それはあくまでも
>曹操のお妃で、曹丕の母親だから記載されたのであって、その他に魏の王室以外の女性の伝
>記は正史「三国志」の中に存在していない。あくまで従属物なのだ。(104頁)
前半の内容は、まあその通りだし、結論も間違いないです。ただ、後半の
「魏の王室以外の女性の伝記は正史『三国志』の中に存在していない」
というのは明白な誤り。
『三国志』呉書にはちゃんと「妃嬪伝」がありますし(巻五)、
蜀書にも「二主妃子伝」があります(巻四)。
思うに、蜀呉の皇帝の伝記は「紀」ではなく「伝」になっている(=皇帝扱いではない)というのと
混同しているのではないでしょうか。
いずれにせよ、この部分は記憶に頼って原典を確認することを怠ったことが明らかです。
張飛の字についての続きです。
(前段についてはこちらへどうぞ → 張飛の字について(前)
残っている疑問は、
その三「演義は何故翼徳って書いているの」
ということでした。
これも厳密には、前段に書いた通り、「翼徳」という表記は
演義以前から見られるものなので、なぜ元明代に「翼徳」という
表記が見られるようになったか、ということです。
で、その答えですが、ごく大雑把に言えば、
「『益徳』と『翼徳』は同じ発音だから」
ということになります。
……そこの貴方、納得してませんね。
「エキトク」と「ヨクトク」のどこが同じ発音か!
というのは当然の疑問です。
でも、やはり同音なんです。正確には
「元以降の北方(北京あたりを想像してください)においては同音」なのです。
そして、現代中国語の共通語(普通話)は、元以降の北方方言をベースに成立しているので、
現代中国語においてでも「益徳」と「翼徳」は同音となります(yi[第4声] de[第2声])。
つまり、「益徳」と「翼徳」は耳で聞く分には区別がつかない、わけです。
さて、正史から演義への変化について考察してゆこうとするわけですが。
まず、導入篇ということで張飛の字について。
よく知られているように、正史では「益徳」、演義では「翼徳」です。
で、どっちが「史実」であるかと言えば、これは当たり前ですが正史です。
んでもって演義の「翼徳」は間違いである、と、そう言われます。
例えば、『蒼天航路』の張飛初名乗りのシーン。
「我こそはタク[さんずいに豕]県済佳村の出自にて美髯団頭目
関雲長が義理の弟、張飛!字を益徳!」
『蒼天航路クロニクル』第1巻を参照してますが、単行本の時と
台詞が変わってますね。単行本では「張飛益徳」と続けて
名乗っていたような記憶がある(記憶違いかも知れません)。
ま、それはともかく、ここのところ、わざわざ、
「『三国志演義』などでは張飛翼徳の名で描かれている」
と註釈が入ります。言外に演義は間違っていると仄めかしている
ような気がする記述ですな。
さて、では質問。
その一「本当に演義では翼徳なの?」
その二「演義が初めて翼徳って書いたの?」
その三「なぜ演義は翼徳って書いているの?」
刀水書房。2001年10月20日初版第1冊発行。220頁。
著者は1924年生。東大文学部東洋史学科卒業。明治大学名誉教授。
奥付の著作を見るに、魏晋南北朝〜唐代の律令制や土地制度が専門と思しい。
双葉文庫。2005年6月20日第1刷。
個人的評価 A+
以下の内容は重大なネタバレを含む可能性があります。
本書を未読の方(特に貫井徳郎『慟哭』は既読の方)は注意!!



