南飛烏鵲楼

三国志に特化して再開します(2008.04.09)
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だいぶ前に「諱と字」について書いたんですが、その後、色々とコメントやらトラックバックをいただいたので、幾つかピックアップ。
東竜さま「続・東龍庵雑事記」[中国史]諱と字を連続して使う例↓
http://d.hatena.ne.jp/touryuuuan/20080907

hakurikuさま「雑記」[故実]家名と諱の直結↓
http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20041115#Kame_to_Imina

mujinさま「むじん書院」思而不学#名字併称の実例↓
http://mujins.chicappa.jp/mujins/fancies.html#MingZi

大雑把に言うと、「話し言葉で名字を結合することはほぼ無いが、書面語では必ずしもタブーとは言えない」ということになるのかな?

この使い分けを意識してないと、「名字併称は絶対しない」という極論になる模様。日本で、この極論をひろめる根源(笑)の一つであろうものを引用しておきます。

>名と字をくっつけることはない。つまり、「操孟徳」「備玄徳」「亮孔明」などと
>言うことは絶対にない(上に姓をくっつけても同じこと)。したがって、
>劉備のことを「劉備玄徳」と言う人があったとしたら、それは無知無学の人と
>断定してよい。
  高島俊男『三国志 きらめく群像』(ちくま文庫、2000)p.318


……文章のキレの良さが高島センセの人気の一因だとは思いますが、こういう時は仇になりますね。この論法で行くと、陳壽も常璩も「無知無学の人」ってことになってしまう。ま、辯護しておけば、高島センセが用いている動詞はいずれも「言う」なので、「話し言葉では」という限定で書いている……わけじゃあ無いだろうなあ、これは。

ちょっとズレますが、名前関係でもう一つ。

>成人になれば人は名をふたつもつ。家庭のなかで生きてきた者が、
>他人とかかわるために、家族の外でつかう名が必要になると
>いってよい。対外的な名があざなである。ただし学問の師や
>主君などからよばれるのは、あざなではなく、本名というべき
>諱である。昔からそうであった。たとえば孔子の弟子の子貢は
>賜とよばれ、子路は由とよばれ。子淵は回とよばれた。
>そのことは『論語』を読めばあきらかである。
    宮城谷昌光『三国志』第1巻(文春文庫、2008)p.12


ダウト2つ。

中国語の「字」と日本語の「あざな」は本来別物。習慣的に「字」を「あざな」と訓じているけれど、平仮名で書いてしまうのはいかにも拙い。

「諱」は亡くなった人の「名」のこと。学問の師や主君などが「諱」を呼ぶことは不可能……とは言わないが、本人が生きている間は「名」であって「諱」ではない。史書は死んだ人間のことを扱うんだから「諱」と言う。

細かいことかも知れませんが、「細部の集合が全体」というのも真理だと思うので覚書。

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