南飛烏鵲楼

三国志に特化して再開します(2008.04.09)
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2.1 通行本(毛宗崗本)

現在、『三国志演義』(『三国演義』)と言えば、ふつうこのテキストを指します。中国はもちろんのこと、日本においても、現在、比較的手に入れやすい邦訳のすべてが、この毛宗崗本に基づいています。(村上知行訳[光文社文庫]、小川環樹・金田純一郎訳[岩波文庫]、立間祥介訳[徳間文庫]、井波律子訳[ちくま文庫]、渡辺精一訳[講談社単行本])

では、具体的にどんな本なのか簡単にご紹介。
2.1.0.1 概要
と言いながら、まず引用から。

>毛宗崗本の刊本は無数にあり、書名を『第一才子書』と称したり、
>巻数も六十巻であったりするものもある。しかしどれも内容は同じである。
>(中略)なお毛宗崗本の原刻本であろうとされるものは、小川環樹博士
>私蔵の「酔耕堂本」であるとされる。小川環樹「『三国演義』の毛声山
>批評本と李笠翁本」(『中国小説史の研究』所収)参照。(後略)
      中川諭『「三国志演義」版本の研究』(汲古書院、1998年)p.33


ちなみに中川先生が用いらている毛宗崗本は、『四大奇書第一種』というタイトルです。『第一才子書』といい、「三国志」という単語を直接タイトルに用いないのがおもしろい(何故こんなタイトルになっているかは後述)。

2.1.0.2 評改者
このテキストの最大の特徴は、旧来の『三国志演義』を相当に改め、大量の評(註釈や短い感想)を加えた点にあります(どのように改めたかは後述)。

テキストを改めたのは毛綸(字は徳音、号を声山)・毛宗崗(字は序始、号を孑庵)父子(ともに生卒年は未詳。清代初期の人か)。長洲(今の子蘇州)の人。当時の蘇州は戯曲・小説出版の一大中心であり、毛父子も出版に携わっていたと思われ、また父の毛綸はその文才を認められていたらしいです。(この項の記述は、上海古籍出版社の『三国演義』排印本の何満子「前言」に拠りました)

2.1.0.3 底本および変改点
毛宗崗本は勿論無から有を生じたわけではなく、先行する『三国志演義』諸版本の一つを底本とし、これを変改しています底本については、明の万暦年間に刊行された「李卓吾批評本」である、というのが現在の定説です。

毛宗崗父子の変改箇所は無数にありますが、基本的に文辞の洗練というのが最大の目的です。例えば、旧来の『演義』には対象の詩詞(韻文)が引用されていましたが、毛宗崗本は、これらをかなり大胆に削除しています。

『三国志演義』に限らず、明清代の白話小説には大量の詩詞が挿入されるのが常ですが、これは白話小説がそもそも口承文藝を濫觴とするからだと考えられています。確かに、口承文藝にあっては、これらの韻文は散文と口語に語られることによってその「語り」にメリハリを生むと思われますが、「読む(黙読する)」ことを前提した場合、寧ろスムーズな「読み」を阻害する要因になってしまいます。それゆえ、特に清代以降、白話小説が「読む」テキストとして洗練されていく過程で、詩詞の挿入は抑えられるようになっていきます。毛宗崗本の変改は、この時代の潮流に合致するものではあります。

また、毛宗崗本が大きく変改した点として、各回のタイトルがあります。毛宗崗本は全120回で構成されますが、このような構成になったのは比較的新しく、確認されている限りでは、毛宗崗本の底本である李卓吾批評本が最も早くこの構成を採用します。それ以前の版本は、全体を240則(240段、240回と称されることもある)で構成するものがほとんどです。李卓吾批評本に至って、2則を併せて1回とし、全120回となったわけです。

しかし、李卓吾批評本の各回のタイトルは、従来のものをほぼ襲用しています。例えば古本とされる嘉靖本の巻1第1則は「祭天地桃園結義」、第2則は「劉玄徳斬寇立功」というタイトルですが、李卓吾批評本第1回のタイトルは、単純にこれを併せて「祭天地桃園結義 劉玄徳斬寇立功」としています。また、目次では、このように二つのタイトルを併せた形式ですが、本文を見ると、まず「祭天地桃園結義」とタイトルが置かれ、第1回の途中で「劉玄徳斬寇立功」というタイトルが現れます。つまり、李卓吾批評本は全120回ではあるものの、実質、240に分割されます。

これに対し、毛宗崗本は第1回のタイトルを「宴桃園豪傑三結義 斬黄巾英雄首立功」と完全な対句表現に改め、第1回の冒頭に置きます。文辞的には遙かに洗練されていると言えます。同時に、タイトルがどのように変改されているか、ということを仔細に検討すると、毛宗崗本が登場人物をどのように見ているかが窺えて面白いのですが、これについては、後日、詳細に検討したいと思います。

内容的な変改も散見できます。よく知られているのは、諸葛亮の第6次北伐における描写です(第103回)。李卓吾批評本では、魏延を囮にして司馬懿父子を葫蘆谷に誘き寄せた諸葛亮は、これを魏延もろとも焼殺しようとしますが、突然の驟雨により失敗。のち、当然のことながら魏延は怒鳴りこんでくるわけですが、諸葛亮は責任を馬岱に被せ降格してしまいます。

よくよく考えるとトンデモない話。毛宗崗本はこのエピソードを不都合と考えたのか、「魏延もろとも」焼き殺そうとしたという部分を削除しています。当然、魏延が怒鳴りこんでくる場面もありません。

内容の変改については、めぼしいものが見つかったらまたご報告します。
(この項は、竹内真彦「泣かずに魏延を焼き殺す 吉川英治の読んだ三国志」[『アジア遊学』105号、2007年12月]を参考にしました。)

全然、「簡単な紹介」じゃあないですね。ここまでおつきあいくださり、有り難うございます。あと「2.1.0.4 評改の理由」を書きたいのですが、今日はここまで。
(08.11.07初稿)
08.11.10 「2.1.0.4 評改の理由」を追記。
08.11.11 「2.1.0.5 毛宗崗本刊行以後」を追記

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