南飛烏鵲楼

三国志に特化して再開します(2008.04.09)
管理者ページ 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
通行本である毛宗崗本の底本とされる版本です。『三国志演義』の本邦初訳である『通俗三国志』(元禄年間刊行)もこれに基づいていると思われます。
過去記事:「2.1 通行本(毛宗崗本)」

また、吉川英治『三国志』も『通俗三国志』に基づいているので、その源流は現在の通行本ではなくこの李卓吾批評本だということになります。
参考:「草思堂から」-通俗三国志↓
http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/2008/02/post_d9ee.html
2.2.3 李卓吾批評本

2.2.3.1 書誌
孫楷第『中国通俗小説書目』には、『李卓吾先生批評三国志』と題する版本が4種著録されていますが、明代(万暦年間?)に刊行された呉観明刻本(または呉観明本)と呼ばれるものが最も古く、他の3種はこの呉観明刻本を底本とするもののようです。

第一冊表紙のタイトルは「刻李卓吾批点三国志全像百廿回」となってますが、この版本の第一冊はすべて挿図なので、このタイトルは、この第一冊に限定して附けられたものかも知れません。

本文の方のタイトルは「李卓吾先生批評三国志」となっています。「演義」はおろか「伝」という文字すらありません。何も知らない人間が見たら、正史の『三国志』と区別がつかない気がしますが、多分、当時の人にとっては話が逆で、『三国志』と言えば演義のことだったんでしょうね。

内容そのものは先行する24巻系諸本とほぼ変わりません。が、見るからに違うところが1箇所。この版本、24巻系に入るんですが、24巻にはなっておらず、タイトルからも判る通り、120回の体裁になっています。

まあ、早い話が通行本と同じわけですが、こっちが底本ですから通行本(毛宗崗本)の方がこちらに倣っていることになります。今日、我々が親しんでいる『三国志演義』の120回という体裁は李卓吾批評本に始まる、ということですね。

2.2.3.2 120回の意味
通行本のところでも少し書きましたが、『三国志演義』は元来240「則」に分割されます。これは24巻本でも20巻本でも同じで、24巻であれば10則で1巻、20巻であれば12則で1巻になるわけです。

少し脱線。
いま、240則と書きましたが、これは孫楷第『中国通俗小説書目』を踏襲した言い方です。20巻本系統に分類される葉逢春本では「段」と呼称していますし、240「回」と言う人もいます。

無論、根拠のあることで、24巻本にも20巻本にもしばしば「則」の末尾に「且聴下回分解」という言い回しが出てきます。まァ、「さてこの続きはどうなりましょうか。続きはまた次回」てな感じでしょうか。ここで「回」と言っているから240「回」であるべきだというわけです。

やや短絡気味かと思わないではないですが、一理はあります。ただ、240「回」と言ってしまうと、李卓吾批評本など120回とする本が別にあるので話が少しややこしくなります。

何故、240が120になるかと言えば、2「則」をあわせて1「回」にしているわけです。決して分量がへっているわけではありません。ところが、ともに「回」という言い方を使ってしまうと、「従来の分量が半分になった」という誤解を生む可能性がでてくるみたいです。ココとか(『三国志通俗演義』の項)↓
http://www11.plala.or.jp/satoshi-xflw/sangokusi/05guide/koten-c.html

脱線終り。以下、「則」で統一します。

問題は何故、2則で1回とするような変改をしたのか、という点にあります。内容はほとんど変わらないわけですから、これはもう120回にすることに目的があったとしか思えない。そういう前提で視野を拡げると、同時代に「李卓吾先生批評」と銘打つ長篇白話小説が存在することに気がつきます。すなわち『水滸伝』と『西遊記』です。そして、『李卓吾先生批評水滸伝』は全100回、『李卓吾先生批評』も全100回です。つまり、どうやら『李卓吾先生批評三国志』は『水滸伝』『西遊記』とシリーズで販売しようとする意図があったようであり、体裁を揃えるために240則を120回に改めたという推測できます。
参考:廣澤裕介「明末江南における李卓吾批評小説の出版」(『未名』24号、2006年3月)

2.2.3.3 回目
さて、240則を120回とした場合、唯一問題になるのが各回のタイトル(回目)です。もともと240則すべてにタイトルが附いているわけで、それをどう処理したのか。

結論から言うと、従来は7字単句であったものを7字双句にするという極めて安直な方法が採られました。具体的に言えば、従来は巻1第1則は「祭天地桃園結義」、第2則は「劉玄徳斬寇立功」だったものを「第一回 祭天地桃園結義 劉玄徳斬寇立功」としたわけです。

『水滸伝』第1回の回目は「張天師祈禳瘟疫 洪太尉誤走妖魔」ですから、この点でも『李卓吾批評三国志』は『水滸伝』に倣ったと言えるかも知れません(ただし、『水滸伝』はキチンとした対句ですが、『三国志』の方は対句にはなってません)。

ただし、ちゃんと7字双句になっているのは「目録(目次)」だけです。

本文の方は、第1行に「第一回」、第2行に「祭天地桃園結義」とあり、そこから本文が始まって、第1回の途中で「劉玄徳斬寇立功」というタイトルが入ります。つまり、1回を2分割する形になっており、実質的には240則に分けているのと同じです。

『三国志演義』の回目が、『水滸伝』のようにちゃんとした対句になるのは通行本を待たねばなりません。単なる7字双句を対句にするためには、全面的な変改が必要になるわけですが、面白いのは毛宗崗本に拠る変改を仔細に検討することで、毛宗崗本が三国志の人物をどう捉えているか、が判ることです。というわけで、今後しばらくの間、李卓吾批評本と毛宗崗本の回目を比較していきたいと思ってます(毛宗崗本の回目はweb上のあちこちで見られますが、李卓吾批評本はそれほど簡単には見られないと思いますので、資料的な価値も含めて)。
          → 2.2.3.4 李卓吾批評本と毛宗崗本の回目の比較

   → 2.0 前口上および目次へ戻る
   → 総目次へ戻る

↓↓ランキング参加中。よろしければクリックしてください(別窓で開きます)。
にほんブログ村 歴史ブログへ

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://taketaturu.blog68.fc2.com/tb.php/125-67b7c1f6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。