南飛烏鵲楼

三国志に特化して再開します(2008.04.09)
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張飛の字についての続きです。
(前段についてはこちらへどうぞ → 張飛の字について(前)

残っている疑問は、
その三「演義は何故翼徳って書いているの」


ということでした。
これも厳密には、前段に書いた通り、「翼徳」という表記は
演義以前から見られるものなので、なぜ元明代に「翼徳」という
表記が見られるようになったか、ということです。


で、その答えですが、ごく大雑把に言えば、
「『益徳』と『翼徳』は同じ発音だから」
ということになります。


……そこの貴方、納得してませんね。
「エキトク」と「ヨクトク」のどこが同じ発音か!
というのは当然の疑問です。


でも、やはり同音なんです。正確には
「元以降の北方(北京あたりを想像してください)においては同音」なのです。


そして、現代中国語の共通語(普通話)は、元以降の北方方言をベースに成立しているので、
現代中国語においてでも「益徳」と「翼徳」は同音となります(yi[第4声] de[第2声])。


つまり、「益徳」と「翼徳」は耳で聞く分には区別がつかない、わけです。

ここで『三国志平話』という本の存在が問題になります。
この本は、表紙の表記を信じるならば、元の至治年間(1321-1323)に
刊行されていることになりますが、張飛の字は「翼徳」となっており、
現在の所、これが「翼徳」と書く最も古い例(のはず)です。


んで、この本、どういう本かと言いますと、講釈の聞き書きか、
あるいは講釈師のタネ本をそのまま出版したものではないかと推測されています。
つまり、声に出して読まれることが前提な訳で、となると漢字表記は正確である
必要が薄いことになります。結果、特に人名などに「当て字」が極めて多いんですね。
例えば「諸葛」を「朱葛」と書いてみたり、「司馬懿」を「司馬益」り書いてみたり。
講釈を語る人間、あるいは聴く人間にとっては、それで全然問題ないわけです。


しかし、史書と比べると「誤った」表記が大量に存在することになります。
「翼徳」もその一つなわけですね。


というのが、その三に対する一応の説明になります。
ただ、実は、この説明だけでは不十分です。
演義はこのような当て字をそのまま引き継いでいるわけではなく、
むしろ「翼徳」以外は史書に準じた形で再度改められていることがほとんどです。


ですから、演義が翼徳が保存した理由というのは別に存在した可能性があります。
ただし、これについては現在のところ、正確に答えようがないというのが実状のようです。


一応、廬弼『三国志集解』などは「飛」という諱から「翼」という字は聯想しやすいから
という説を立てています。でも、やはり少し弱いですね。

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コメント
この記事へのコメント
「糜」と「麋」は全くの同音で、しかも「ただれる」という
同義で用いますから、
略字のような意識で用いたのでしょうね

「翼徳」については、ストラップさんのご指摘どおりだと思います。
というか、正史の「飛」と「益徳」とのつながりって、
出典とか指摘できるんですかね。
(浅学ゆえに知らないだけでしょうが)

「益」「翼」は呉音あたりでは相当近い音だったと、
思われるので、正史の「益」が「翼」の当て字だったりすると
面白いのですが。
2006/08/09(水) 10:28:27 | URL | 武樹 #-[ 編集]
意外と見落としがちですが、
「麋竺」なんて三国志演義だと「糜竺」と、「麋」の字が微妙に違うんですよね。


張飛の「翼徳」という字は、

関羽の「羽と雲」
趙雲の「雲と龍」

に対しての「飛と翼」
という連想なのかも知れませんね。
2006/08/09(水) 05:12:34 | URL | ストラップ #NGZdevfQ[ 編集]
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