南飛烏鵲楼

三国志に特化して再開します(2008.04.09)
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この書評から派生した文章です。

さて、神保氏の貂蝉についての記述の誤りを、
彼の正史と演義に対する態度に由来すると指摘しました。
以下、具体的にどういうことかを述べてゆきます。


>いままでに何回、「三国志の正史と演義はどう違うの?」とか、
>「正史と演義はどっちが面白いの?」という質問を受けたこと
>だろう。はては「正史と演義はどちらが正しい?」というのまで
>あった。ここではっきり、その手の質問は意味がない、と言っ
>ておこう。(神保氏著書 26頁)


この部分、最初は読み流していました。
しかし、全体を読んだ後に読み返すと、神保氏の正史至上主義が
端的に表れた部分だということに気が付きます。


 

「正史と演義はどちらが正しい?」という質問に意味がない、と神保氏は
言うわけですが、これは「正史の方が正しいに決まっているから」だと
彼が考えているからでしょう。


一応、「正史」は「正しい歴史」という意味ではないとも言っていますし、
演義の成立についても、


>陳寿の書いた「三国志」をもとにして、民間伝承や演劇、語りものを取り入れて
>創作された、三国時代から千年以上のちの明代の小説なのだ。(同書26頁)


と位置づけていますが、
これは参考文献に掲げる井波律子先生の『三国志演義』(岩波新書、1994年)
あたりからの受け売りでしょう。
演義の成立について、彼が具体的なイメージを持っているかは甚だ怪しいです。
むしろ、同頁の


>正史「三国志」というデータベースがなければ、そこから創作された小説は存在しない、
>どちらが正しいというような次元の問題ではないのである。


とか、


>しつこいようだが、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』と司馬遷の「史記」とどちらが正しい、
>などと聞かれることはないだろう。


という発言が、彼の演義に対する理解を象徴しているように思います。
明らかに、『三国志演義』を、現在書かれている多くの歴史小説のように、
「一人の作家が歴史書をもとに創作したもの」だと認識しているわけです。


……全然、違います。
そもそも、『三国志演義』の作者が羅貫中だという認識そのものが、根本的に危険です。
『項羽と劉邦』にとっての司馬遼太郎と、『三国志演義』にとっての羅貫中が持つ意味は
相当に異なります。詳細は後日に譲りますが、端的に言えば、
我々は羅貫中の書いた『三国志演義』を読むことはできません


演義の成立は、我々の常識からは推し量れない複雑怪奇なものです。
そこを認識しない限り、演義を「たかが小説」と侮ることになってしまいます。


正史『三国志』の成立から演義の成立まで、どんなに少なく見積もっても
千年以上が経過しています。そして、その期間は空白ではなく、数多くの
三国志物語が生成されています(広く言えば、正史『三国志』の裴松之註や
『世説新語』なども、それに含まれるわけです)。
演義は、そのような醸成期間を経てつくりあげられた、
「三国志物語の完成形態の一つ」だと言えます。


となると、少なくとも「正史と演義はどう違うか」という命題は固有の価値を
持っていると考えるべきでしょう(実際の史実にしか興味がない人は別ですが)。



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