南飛烏鵲楼

三国志に特化して再開します(2008.04.09)
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平凡社新書。2006年5月10日初版第1刷。293頁。

基本的には、三国時代の人物の知られざるエピソードを、
正史『三国志』他の資料を駆使して紹介する本。


内容そのものについては、オジオンさんのブログに
極めてすぐれた紹介がありますのでそちらをご参照ください。


(特に正史未読の方には)非常に面白く読める本ですが、
演義ファン(笑)としては、かなり文句をつけたい部分があります。

さて、坂口氏は、本書の「まえがき」で「五つの焦点」を挙げておられますが、
その第2に曰く。


>(二)「三分の虚構」によって正史が描いた人物像と『演義』のそれとの間に、
>どのような違いが生まれたかをはっきりさせる。


そして、本文でも正史と演義との違いをしばしば指摘されるわけですが、
(というかオジオンさんが指摘される通り、それが中心であるともいえる)
その割には、演義について初歩的な誤解が多いです。
例えば、


>『演義』では、神として祀られ、後には帝号まで追贈された関羽の名を避けて、
>必ず「関公」と表記する。


……大嘘です。演義(毛宗崗本)での関羽の呼称は、地の文においては、
「関公」「雲長」が混在しており、必ず「関公」と呼称されるわけではありません
(数的には「雲長」の方が優勢です)。
原文を読めば一発で判るのですが、そこまでは無茶な要求というものでしょう。
ただし、坂口氏が巻末に掲げられる参考文献にも関羽の呼称については言及があり、
坂口氏とは異なる指摘をしているので、それは過誤と言わざるを得ません。


>ちなみに、『演義』では、関羽は関公と呼ばれ、あるいはあざなの雲長を
>用いられていて、本名を直接名ざしすることはほとんどない。
              (井波律子『三国志演義』[岩波新書]110頁)


また、小川環樹『中國小説史の研究』では『演義』巻頭の人名表の中で
「関某」と書くことを指摘しています。こちらも本書の参考文献として挙げられているので、
関羽の呼称については、坂口氏は参考文献を蔑ろにしているというべきでしょう。


というか、『演義』についての坂口氏の理解は、非常にプリミティヴに過ぎ、
過激に言えば、参考文献に井波・小川両氏の書籍を掲げる資格はありません。


プリミティヴな理解の最たるものは
「『三国志演義』の作者は羅貫中である」という思い込みです。


確かに、『演義』のほとんどのエディションには羅貫中の名が見え、
彼が『三国志演義』に成立に対して、何らかの関わりを持っているのは確かでしょう。
しかし、その関わりがどういうものであったのかは、
従来の研究では、まったく明らかになっていません。
というか、明らかにしようとしてもできないというのが実状のようです。


というのも、元明代の小説というのは、出版時に本屋がテキストを改変する
などというのは当たり前のことであり、結果、一口に『三国志演義』と言っても、
相当数のエディションがあり、エディション間でかなりの相違があるからです。


詳しくは中川諭『「三国志演義」版本の研究』(汲古書院)を参照して
いただきたいのですが、少しだけ具体例をあげるならば、


○関索の登場するものと登場しないものがある。
○羊コと陸抗のエピソードがない


これは本当に一例で、細かい所を挙げるときりがありません。
そして、いずれも羅貫中が直接書いたものでないことだけは間違いありません。


さらに、上記したような細かい差異を吹き飛ばす大幅な改変が、
毛綸・毛宗崗父子によって、康煕年間に行われます(便宜的に毛宗崗本と呼びます)。
そして、現在『三国志演義』と言えば、この毛宗崗本のことです。
(現在、簡単に読める和訳もすべて毛宗崗本を翻訳したものです)


毛父子の改変が、どの程度大きなものであったのか、象徴的な例を挙げましょう。
周知の通り、『三国志演義』は全120回で構成され(これも古くは異なるのですが)、
すべての回にタイトルが附されます。そこで、毛宗崗本第24回の標題をみると、


「国賊行兇殺貴妃 皇叔敗走投袁紹」


とあります。ここは、董承らの暗殺計画が発覚する場面ですので、
「国賊」は当然、曹操のことです。
次に毛宗崗本以前のエディションのタイトルを見ると、ほとんどのエディションで、


「曹操勒死董貴妃 玄徳匹馬奔冀州」


と記されます。これとても劉備を字で呼ぶのに対し、曹操は本名を犯すわけですから、
そこに「善玉」「悪役」という価値観がないとは言いませんが、「国賊」呼ばわりするのとは
次元が違います。


そして、毛宗崗本は一事が万事この調子で、曹操を貶め、諸葛亮を称賛する傾向が
それ以前の版本より露骨です。
諸葛亮について言えば、毛宗崗本以前の版本では、第5次北伐の際、諸葛亮が、
胡蘆谷で囮となった魏延を司馬父子もろとも焼き殺そうとするエピソードがあります。
吉川英治三国志に採録されているので、日本の三国志ファンには、
よく知られた話なわけですが、このエピソード、毛宗崗本ではカットされています。
理由は、「諸葛亮を称賛するには極めて都合の悪いエピソードだから」でありましょう。


つまり、毛宗崗本は極めて偏ったエディションだと言えるのであり、
我々が『演義』の傾向だと思っている曹操の奸雄的側面の強調だとか、
諸葛亮の神格化とかいうのは、比較的新しい時代に徹底されたものなわけです。


羅貫中に話を戻せば、「夏目漱石が『我輩は猫である』を書いた」というのと、
「羅貫中が『三国志演義』を書いた」というのは、全然次元が違うわけです。

長くなりました。

最早、書評では無くなっている気がします(苦笑)。
書き足りないので、私論の方へ続きを置いておきます。 → コチラ

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コメント
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トラックバックを拝見して
辿って参りました。
はじめまして、オジオンと申します。
『三國志演義』はちくま文庫版しか読んだことがないので、実は全然知識がなかったりします。私はどうしても正史での解釈に偏重してしまいがちでしたが、演義の勉強も不可欠であると痛感させられました。


もし、宜しければ拙サイトと相互リンクして頂きたいのですが、お許し頂けますでしょうか?
最近、サブカル方面に傾斜しているので非常に厚かましいお願いなのですが・・・宜しくご検討下さいませ。
それでは
2006/07/19(水) 03:29:06 | URL | オジオン #vy9NGj6Y[ 編集]
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