南飛烏鵲楼

三国志に特化して再開します(2008.04.09)
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というわけで行って参りました三国志学会


人数がどのくらいかと思っていたのですが、
そこそこの盛況。100人弱といったところでしょうか。
年齢層も幅広く、後で話を聞いたら、
小学五年生の女の子まで来ていたそうな。


割と高名な研究者の方々も、ちらほら来ていたようです。
(会場にいた知り合いに聞いたところでは、ですが)

さて、会長である狩野直禎先生が学会の設立趣意書を読み上げて
開会を宣言。午前の部は研究発表でした。


最初は駒沢大学の石井仁氏。
言わずと知れた、『曹操-魏の武帝』(新人物往来社)の著者。
テーマは「呉・蜀の軍事精度に関する覚書」ということでしたが、
具体的には呉蜀の都督制度と、蜀の「都護」「軍師」などについての
考察でした。


「都督」というと真っ先に思い浮かぶのが周瑜で、
何かイメージは「軍の司令官」って感じだったのですが、
実際はある地域の行政・軍事を統括する機関およびその長官を
指す用語なのだそうです。(唐代の節度使みたいなもんでしょうか)
で、呉の制度は魏に準じ、蜀についてはよく判らない、
つまり『蜀志』の記述に統一性がないとの指摘でした。
陳寿は都督制度が判ってなかったのではないか、
という疑問も出されていました。


個人的に面白かったのは、後半の「都護」「軍師」「参軍」などに
ついての指摘でした。


石井先生によれば、『蜀志』にしばしば現れる、
「都護」「軍師」などは具体的な職掌を持つ「実官」ではなく、
「都護-軍師-監軍/領軍-護軍-典軍-参軍」という序列をもつ,
「勲官」つまりその人のランクを示すものだったのではないか、とのこと。


で、これは蜀や呉が、軍事組織を母体として政権を形成していたことを
如実に示している、と指摘されていました。
つまり、いずれも元来は軍中で用いられていた官職名であり、
それが王朝確立後も残っていたことになるわけです。


なるほどなあ、と感心しておりました。


続いて、関東学院六浦中高の澤章敏氏の
「五斗米道の現状と課題」。


基本的には五斗米道(天師道)についての概説って
感じだったのですが、『魏志』張魯伝の裴注などに見える,
「張脩」についての話が面白かったです。


この人物については、大雑把にいって張魯の父である「張衡」のことで
あるという説と、血縁関係のない別人だという説があるそうな。


で、もし後者だとすると、五斗米道の創始者は、実はこの張脩であって、
張魯がそれを乗っ取ったという可能性が高いということでした。
つまり、『魏志』の張魯伝に記される、張魯の祖父張陵(張道陵)が
創始した云々という話は、張魯とその周辺によるプロパガンダという
ことになるわけです。陰謀史観好き(笑)としてはそそられる話でした。


ここまでが歴史系。後半2名は文学でした。


お茶の水女子大学助教授の和田英信氏。
題目は「建安文学をめぐって」でした。


建安に至るまで、いわゆる「詩」には作者名が被せられることが
なかったのが、建安文学に至って、「誰が」その詩を書いたのか、
ということが明確にされるようになります。
そして、それと連動して、詩の中の描写が具体化する、
つまり、どのようなシチュエーションで読まれたかが明確になったり、
作者の知人・友人が詩中に現れたりするようになるという話でした。


面白かったのが、そのように個人名が意識されるようになったことで、
文学が政治に従属するようになったのではないか、という指摘。


考えてみれば「当たり前」ではあります。
政治的な文脈に属さない人間というのは、非常に珍しいわけで、
と、なれば、その人が作る詩というのは、本人が意図的でなくとも、
その人の政治的立場を否応なく反映してしまう。
(建安時代の場合、三曹をはじめとして詩人のほとんどが為政者側で
あったわけだから、尚更、ですな)


もっと言ってしまえば、すべての文学は「政治的」なものでしか
有り得ない、ということになるのでしょうか(反論はあるでしょうが)


研究発表最後は、龍谷大学助教授の竹内真彦氏。
「呂布には何故ひげがないか」という題目でした。


前3つが、割と「学術的」という印象だったのに対し、
題目からも判る通り、かなり砕けた印象でした。


『演義』挿絵の呂布というのは、いわゆる「白面の貴公子」として
描かれることが多いのですが、それは何故かという話。


結論だけ書くと、呂布と貂蝉の恋物語というのが、
当時、民間藝能として相当広く行われており、
その物語においては、呂布が主役であったから、
その反映として、悪役が割り振られる『演義』に「おいても、
挿絵だけは「貴公子」になるのではないか、との指摘でした。


演劇や平話では、呂布と貂蝉がもともと夫婦だったという
設定になっている、という指摘は覚えておいていいかも知れません。


午後は講演二つ。


最初は社会科学院教授の劉世徳先生。
『演義』版本研究の専門家で、
講演内容も『演義』版本についてでした。
内容が専門的すぎて、正直、消化しきれておりません。


最後が、狩野直禎先生の「私と三国志」。
さすがに斯界の泰斗だけあって、非常に興味深いお話でした。
昭和初期からの日本における三国志研究を回顧する内容でしたが、
今まで漠然と聞いたことがあるような幾つかの話について、
誰がそれを言ったのかということが明確になったのが、
個人的には大収穫でした。


狩野先生のレジュメは貴重な資料になりそうです。
(直筆のコピーだし;笑)


以上、第1回報告でした。
一回目だけあって、事務局が奮闘した様子が窺えました。
来年以降、このレベルをキープできるかが成功の鍵でしょうね。


一つだけ苦言を呈せば、
午前の開会が15分程度遅れ、
それについてのアナウンスがなかったのは
やや不親切な印象を受けました。



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コメント
この記事へのコメント
>オジオン様:
コメントありがとうございます。

張脩の話、やはり割と知られているものなんですね。
正史も読み返さないといけないなあ……
2006/08/03(木) 11:54:37 | URL | 武樹 #-[ 編集]
お疲れ様でした
非常に興味深いお話です。

>軍政について
陳寿自身が軍事に関する知識が乏しかったのかも知れませんね。『三國志』は全般的に軍事関連の記述(とくに戦術面の詳細)が淡泊ですから

>五斗米道
これは私も初めて知ったときは衝撃的でした。
『典略』の誤字、という線もあり得ますが、『後漢書』「霊帝紀」にも当時張脩が同地で宗教教団として勢力を扶植していた記述があります。
張魯は母を通じて道教・鬼道の知識を仕入れ、教団を乗っ取った、というのは充分にあり得ると思います。

>呂布に髭がないのはなぜ?
やはり、メディアの影響力は凄まじいものがあるんですね~
2006/08/01(火) 21:37:13 | URL | オジオン #-[ 編集]
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