南飛烏鵲楼

三国志に特化して再開します(2008.04.09)
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 行ってきました、日本中国学会。

 お目当てだった吉永壮介氏の「龐統の仕官をめぐる故事について」ですが、基本的には先に紹介した梗概の内容に収まるものでした。というか、そうで無ければ学会発表としては拙いのでしょうね。

 興味を惹かれた知見としては、北宋末かた南宋にかけての人、葉廷珪が著した『海録砕事』巻13下に、

>龐統字士元、自号白馬将軍。

という記述があるということ。
 龐統と白馬というと、真っ先に思い浮かぶのは、『三国志演義』で、龐統が劉備の白馬を譲り受け、それがために劉備と人違いされて射殺されるという挿話(毛宗崗本だと第63回)。この『演義』の挿話の濫觴は南宋初期くらいまで遡れる可能性があるわけですね。
 しかも、この、龐統=白馬将軍というのは、誤解に基づく可能性があるらしいです。
 南宋・章定の『名賢氏族言行類稿』巻3に魏の龐徳が常に白馬に乗っており、関羽がこれを指して白馬将軍と呼んだという記述の直後に、龐統に対する言及が置かれている。つまり、葉廷珪は、この書物を誤読して、本来は龐徳を指していた「白馬将軍」の語を、龐統を指すものだと勘違いしたという指摘です。

 龐統をめぐる説話としては、何と言っても「龐掠四郡」雑劇の荒唐無稽さが目を引くんですが、これについては近々雑劇の項で紹介したいと思っています。

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